2010年宇宙の旅

名古屋出張の際、ビジネスホテルでの暇つぶしのために、名古屋駅前のジュンク堂で買った。

「2001年」で木星付近に取り残されたディスカバリー号に向け、調査に向かうレオーノフ号の物語。
(本当は、「2001年」小説版では土星なのだが、この「2010年」小説は映画版に合わせて木星になっている。)
 
2001年宇宙の旅」と同じく、人類の進化を見守る人知を超えた知性と、その知性に導かれた人類のより高度なステージへの飛躍がテーマとなっている。
これは、クラーク作品にの底辺に流れる壮大なテーマであるようだ。
そのことは、源流に位置する「幼年期の終わり」を最初に読むことで、より明確に理解できると思う。
 
それにしても、80年代の作品だが、こうして今読んでみると、2010年を目前にした現在を結構正確に予見しているように思える。
米ソの共同探索機が木星探索に向かい、中国の探索機がそれを出し抜こうとするなど、米ソと米ロの違いはあれ、そう間違った構図ではないのでは。
いや、正しくは、米欧かな。
ちなみに、日本は、増殖するモノリスを見たアメリカの宇宙飛行士が、日本のドミノ倒しのテレビ番組を思い出すという形でちらっと出てくる。
悲しいかな、現在の世界における日本の存在感も、そのまま言い当てられているような気がした。
そういや昔、アルプス一万尺の替え歌で、
アメリカソー連、人工衛星あーげて、
ニッポン負けずに、天ぷら揚げた♪」
ってのあったなー。
ま、いいか。
 
そんなわけで、只今、続編の「2061年」を読書中。
何だこの中途半端な数字は、と思ったら、どうやらハレー彗星にまつわる物語のよう。
なるほどね。