文体による人格の違い

よく、日本語で話すときと、英語で話すときは、人格が違うと言われる。
僕の場合、日本語でも、ですます調で書くときと、文語調(…だ。…である。)で書くときで、
明らかに人格が違うように感じる。
簡単に言えば、ですます調の時は比較的ポジティブ・前向きであり、
文語調の時は比較的ネガティブ・後ろ向きになる。
どちらかといえば、ですます調で書いている自分の方が好きなのだが、
文語調で書く自分もまた自分の一つの側面であるわけで。
そして、このマルコジみそは、文語調。
じゃあ、マルコジみそを書いている自分は嫌いなのかというと、はい、確かに、
後で読み直して憂鬱になることがよくある(笑)。
ちなみに、留学のことを書くことにしているマルコジ留学みそは、ですます調にした。
これは、留学中は全てポジティブに考えたいという願望が入っている。
というわけで、留学中にダークサイドの気持ちが首をもたげてどうしようもなくたったときには、
マルコジみそのほうにぶちまける可能性が高い。
まあ、それで困る人もそんなにいないだろうから、そうしよう。