駆け足タージマハール訪問記

ニューデリーからの続き。
(前回はこちら)ニューデリーの苦い思い出(後編) - マルコジみそ
 
まだ暗い明け方、僕は安宿のフロントを起こして(居眠りしていた)チェックアウトし、ニューデリー駅に向かった。
タージマハールのあるアーグラーに1日滞在し、アーグラーでは宿泊せずに夜行列車でベナレスに向かう予定。
ニューデリーからアーグラーまでは約2時間で到着した。
 
アーグラーカント駅付近で、見た覚えのある日本人に遭遇した。
何と、関西空港からバンコクまでの飛行機でたまたま隣り合わせになった大学生と、ここでバッタリ出会ったのだ。
正確に言うと、僕も含めて3人、たまたまインドに行く大学生(互いに全く面識なし)がバンコク行きの飛行機で隣同士の座席になり、バンコクまでの機中で意気投合していろいろ話し合ったのだった。
僕はバンコクで2泊したが、残りの2人はそのままインドに飛んでいった。
その彼の話によると、ニューデリーのホテルまでは行動を共にしたが、その後は別れて旅行を続けているらしい。
実はこの先々、かなりの頻度で日本人とは出会う。
結局のところ、ほとんどの旅行者は、この広いインド亜大陸の観光地をすごろくのように進んでいると考えられる。
僕よりスローペースでコマを進める彼に、急ぎ足の僕が追いついたに過ぎない。
 
ともかく、この日は彼と共にアーグラー観光をすることになった。
実は、彼は大学も同じのようで、インドにいながら大学のローカルネタに花を咲かせた。
ただ、僕はニューデリーのトラブルからインド人不信が拭いきれておらず、インド人に異常に警戒しては「信用ならん」とか言いまくってしまったのだが、既にインドに慣れて余裕で旅を続ける彼には耳障りだったかもしれない。
少し反省しつつ、インド人の子供に笑顔を送る彼を見て、僕のインド人に対する警戒心も少し緩まったのであった。
 
タージマハールとアーグラー城を観光したら、結構いい時間。
もう一泊するという彼とは、「お気をつけて」と声をかけあい、バスターミナルで別れた。
僕は、海外を旅行する日本人が別れるときに大抵かけあう「お気をつけて」という挨拶が、結構好きだ。
この挨拶には、「お気をつけて、お互い無事に日本に帰りましょう」という気持ちがこもっているように感じ、何だか心強くなるのだ。
 
ベナレス行きの電車は、アーグラー城からバスで約1時間のところにあるトゥンドラー駅から出る。
トゥンドラー駅は郊外にあり、バス停から駅までの道は、外国人目当ての商売人が一切いない、普通のインドの庶民の風景が広がる。
夕暮れ時にインド人の只中を日本人が一人とぼとぼと歩いているのも心細いが、なかなかしみじみとした風景だった。
 
駅の中で、また一人の日本人の大学生に出会った。
出発までに時間もあったので、しばらく話こんだ。
聞くと、この大学生も一人でインドにやってきたのだが、ニューデリーで観光案内所に連れ込まれ、数百ドルのツアーを組まされたらしい。
数日間、チャーターした車で近辺の観光地を巡り、以降は手渡された電車のチケットでベナレスに向かうとのこと。
彼は、確かに高額で、ぼったくられたとは思うけど、車で効率的に観光地をまわれたし、観光地も結構感動したから、このツアーはそれはそれで良かった、と言っていた。
確かに、それも一つの考え方だと思った。
 
彼とは違うホームの電車だったので、ホームで別れた。
ベナレスまでは、2等寝台。
上段を予約しておいたのだが、座席に行くと上段はたたまれ、下段にインド人がぎゅうぎゅうで座っている。
2等寝台がこういうものであることはガイドブックで読んで知っていたので、落ち着いて上段が自分の寝台であることを伝えると、僕が座れるように少しずれてくれた。
最初はちょっと警戒したけど、まわりのインド人は皆にこやかな顔をしており、実にほのぼのとした空間だった。
それほどの会話はなかった(「どこから来た?」「日本」くらいはあったかな?)けど、かなり心は穏やかだったのは覚えている。
寝台を下ろす時間になれば、ちゃんと皆立ち上がって上段が下ろせるにようにしてくれた。
まぁ、さすがに、バックパックはあちこちに鎖でぐるぐる巻きにつないでから寝た。
 
そして翌朝、聖地ベナレスに到着した。
(つづく)