苦難のバス紀行

ベナレスからの続き。
(前回はこちら)ベナレスの記憶 - マルコジみそ
 
カトマンズで友人と落ち合うべく、ベナレスからバスで出発した。
このバスは一泊二日の日程で、国境の町スノウリで一泊する。
初日は、ひたすらインドの荒涼とした大地を突き進んだ。
バスはほぼ満席で、日本人も10人ほど含まれていた。
自然と、国ごとに旅行者のグループができあがり、それぞれの会話を楽しんでいた。
僕もほぼ年齢が同じ大学生と隣になり、あれこれ話しながら過ごした。
 
初日の途中、ハプニング発生。
前方の座席に、とある国(ヨーロッパ系)の大学生らしき集団が座っていたのだが、出発時から騒がしく落ち着きの無い連中だった。
それは別に構わないのだが、彼らがちょっとした事件を引き起こしてしまったのだ。
付近に何も無いあたりを走っていたとき、その集団の女の一人が窓を開けようとしたのだが、錆び付いているのか何かで、開かなかった。
すると、横に座っていた男が、「俺に任せろ」と言わんばかりに身を乗り出し、頑張って開けようとするのだが、やはり開かない。
そしてその男、癇癪を起こしたのか、「このやろう!」という感じで窓を叩き始めた。
と、次の瞬間、窓ガラスが粉々に割れてしまったのだ。
よく見ると、その男、手首を窓ガラスで大きく切ってしまっており、両手が血まみれになっていた。
男は自分の血を見て卒倒、女はパニックになって悲鳴をあげた。
しかし周りは何も無い平原、バスはしばらく走り続けることになった。
 
しばらく行った先にある診療所にバスは停車し、その男は担ぎ込まれていった。
バスは30分ほど停車。
その集団の女たちは、泣きはらしてオロオロするばかりだった。
異国の地、しかも医療設備もしっかりしてなさそうなインドの田舎で、大怪我をしてしまったのが不安で仕方が無いのはわかる。
しかし、明らかに、この事故は、迷惑行為の末の自業自得。
一部始終を見ていた他の乗客たちは、この集団を冷ややかな目で見ていた。
一緒にいた日本人の人たちも、呆れ顔。
あえて国名は書かないが、このモラルの無い集団のおかげで、この国のイメージまで大きく悪くなってしまった。
ちなみに、この国の若者の旅行者は、行儀が悪いという噂をよく耳にする。
 
このハプニングも手伝って、スノウリには予定時刻を大幅に遅れて到着し、すっかり薄暗くなっていた。
イミグレーションで入国審査を済まし、ネパールに入国。
入国するなり、インドとの違いを肌で実感した。
ああ、商売人が一人も寄ってこない!
そんなこと、インドでは有り得なかった!
ネパールブラボー!
嘘みたいだが、インドからネパールに入ると、本当にそう感じるのだ。
インドからネパールに入った人はホッとするという話は、本当だった。
 
イミグレーションそばの宿に宿泊。
その夜から、ついに恐れていたことが起きてしまったのだ。
夕食のチョウミンを食べているころから、徐々に全身がだるくなってきた。
そして、どんどんお腹がゆるくなってきて…。
その夜は何度トイレに駆け込んだのか。
そう、よりによって、こんな道中でお腹をこわしてしまったのだ。
 
というわけで、2日目のバス道中は、腹痛と熱をかかえながら悪路を行くという、過酷なものとなってしまった。
朝起きてバスに乗り込むときには、既に吐くものも胃に無くなって、強烈な吐き気があるのに吐けないというつらい状況。
バスの窓を開けてうなだれていたら、近くにいたネパール人が、これを飲め、とコップを差し出してくれた。
飲んでみたら、炭酸水だった。
このおかげで、吐き気がかなりおさまった。
礼を言ってコップを返したが、ノープロブレムという様子で去っていった。
地獄に仏、ネパール人の人情にただただ感謝するばかりだった。
 
しかし、ここからカトマンズまでは、かなりの悪路を行く。
もうろうとした頭と腹痛を抱えながら、激しく上下に揺れるバスに乗り続けるのは、この上なく苦痛であった。
しかもスノウリからしばらくは乗客も少なかったので2人がけの座席に横になって寝ていられたのだが、途中から地元の乗客が次々と乗り込んできて、座らざるを得なくなった。
さらに、運悪く前の座席にはわんぱく坊主達が乗り込んでおり、思いっきりリクライニングを倒してくるので、非常に窮屈になった。
窓の外にはチトワン国立公園の雄大な自然の風景が広がっていたのだが、この状況では風景を楽しむ心のゆとりが持てなかった。
 
夕刻にカトマンズ郊外に到着した。
ちなみに、初日に一緒だった日本人のほとんどは、有名な保養地であるポカラに向かうためにスノウリで別れていった。
そのため、カトマンズまで来た日本人は、僕以外には旅なれた感じの女性が一人いただけだった。
ただ、その女性とは全然話をしていないので、そもそも日本人だったのかどうかもよくわからない。
 
友人とは、旧王宮の前で落ち合う約束をしていた。
しかし既に約束の時間は過ぎており、旧王宮の前には友人の姿はなかった。
もともと、その日に落ち合えなければ翌日の朝に再び同じ場所で落ち合い、どうしても合流できなければ諦めるという約束だった。
とりあえずその日の合流は諦め、適当な宿を探してチェックインした。
 
宿の食堂に行き、激しく下痢をしているので、胃にやさしいものを出してくれ、と頼むと、ヨーグルトを出してくれた。
ヨーグルトを食べて生き返った心地がしたのは、後にも先にもこの時だけである。
そしてその夜は、あっという間に眠りに落ちた。
(つづく)