ある東京在住リーマンの記録。

できるだけ明るい話題を書いていこうと思ってます。
でも、震災発生から1週間、
やはり自分がどういう体験をしたのか、
記録として残しておくことは意味があると思いますので、
この1週間の体験を簡単にまとめておこうと思います。
おそらく、ほとんどの東京在住のサラリーマンは、同じような体験をしたことと思います。


【2011年3月11日(金)】
朝、CMUから、論文再投稿について打診のメールが届きました。
上司に相談のメールを出しつつ、年度末のイベントに向けて通常業務。


午後、突然揺れ始める。
最初は小さな揺れで、徐々に大きな揺れに。
激しく揺れるというよりは、長く大きく揺れる感じでした。
一旦おさまったが、しばらくして、今度は突き上げるような縦揺れの後、同じ程度の大きさで、長く大きく揺れました。
ネットなどですぐに、岩手県沖でM8.8の地震が発生したことを知りました。


数10分後、会社から屋外への避難命令がでて、全社員が屋外へ。
人員確認の後、帰宅命令。
しかし、電車も信号も止まっている状況。
多くの人は帰れず、会社で夜を明かしました。
僕は、小さい子供2人とヨメ1人を残してこの状況を放っておくわけにはいかないので、歩いて帰ることにしました。
川崎市から八王子市まで、当初は3時間程度で着くかと思ってましたが、6時間程度かかってしまいました。
夜11時に帰宅。
道中ネットを見て、高い津波が東北地方を襲ったことは知っていましたが、
帰宅してテレビで映像を見て、想像をはるかに超える惨状に愕然としました。


【2011年3月12日(土)】
朝から論文の修正作業。
一段落ついてから、家族で買い物へ。
この時点では、どこの店もそれほど混乱はなく、品ぞろえも普通にありました。


夕方、原発の爆発のニュースがあり、誰の目にも原発危機の問題が明らかに。


夜、近所のスーパーに歩いて行ってみたら、既にパン、水、インスタント食品類を中心に品切れ状態。
おそらく、原発の危機が高まるにつれて、今後の生活を考えた人々が、どっと押し寄せたのだと思われます。


【2011年3月13日(日)】
午前にCMUの学生さんとSkypeディスカッション。
その他、友人と近況の確認をしました。
身内が被災された方などに対し、何気ない態度が深く傷つけてしまったかもしれません。
苦い思い。
Skypeディスカッション自体は、今後の作業分担を話し合っただけで、比較的早く終わりました。


翌日からの計画停電が発表されました。
僕の住まいは、翌日は朝と夕刻の2回予定されるとのこと。
町内アナウンスでも、停電の旨の放送がありました。


【2011年3月14日(月)】
朝、ニュースを見ると、都内の一部の路線を除いて、首都圏のほとんどの路線が終日運休。
どうしようもないので、会社に休みの連絡をしました。
当然、この日は、歩いて来れる社員以外は全員休みとなりました。


朝、計画停電の時間になっても、停電せず。
結局、停電はしませんでした。


その朝、近所のスーパーに行ってみると、ものすごい大混雑。
レジの前には、30分くらいの大行列ができていました。
パン、水、インスタント食品の他、何故かティッシュペーパーなどまで品切れ。
これは、パニック状態だ、と思いました。
うちは必要なものを少し買っただけでしたが…。


夕刻、銀行でお金をおろすため、自転車で隣駅まで行きました。
電車が止まっているので、人もいつもほどいません。
夜の停電に向けてか、いくつか集会用のテントが出ていました。
三菱東京UFJ銀行のATMは動いてました。


結局、夜の停電もありませんでした。


この日は、買い物などに出かける以外は、自宅で論文修正作業をしていました。


【2011年3月15日(火)】
ようやく電車が動いたので、出社。
本数がかなり減っていたので、ぎゅうぎゅう詰めの電車にのって通勤しました。


昼過ぎ、1歳ムスコが40度を超える高熱を出したとの連絡が入り、急遽帰宅しました。
帰宅してみると、ムスコは高熱でぐったりしていました。
ともあれ、病院の診察では、重大な病気であるという診断ではありませんでした。


容赦なく、この日も夜に計画停電が予定されています。
幸いにも僕は早く帰宅していたので、家族で停電に備えました。
でも、結局、この日も停電はありませんでした。


この夜、静岡でM6強の地震が発生しました。
僕の家も、かなり激しく揺れました。
富士山のふもとでのこの大きな地震
正直、どうなってしまうのか、怖かったです。
熱を出しているムスコも怖がって泣き出しました。


【2011年3月16日(水)】
この日も出社。
比較的平穏な一日だったかもしれません。


この日の午後、論文を投稿しました。
僕がこんな状態だったこともあり、多くの労力をCMUの学生さんに負担させてしまいました。
快く引き受けてくれた彼に、感謝の気持ちでいっぱいです。


【2011年3月17日(木)】
出社。
原発の予断を許さない状況はありますが、僕の一日としては平穏に終わるかと思いました。
しかし、夕方になって、計画停電とは別の突然の大規模停電の可能性が国から発表されました。
それに伴い、会社からも帰宅しろとの指示。
あらゆる会社の全会社員が一斉に帰宅しはじめたものだから、どこの駅も大混雑でした。
文字通り寿司づめ状態で、何とか帰宅しました。





以上です。
やっぱり書いてて嫌になってきました。
でも、この震災で、自分がどう行動し、何を思ったのか、後で思い出すことができるためにも、書き残しておこうと思います。


明日からは、基本的には、少しでも明るい話題を見つけて、書いていきたいと思います。