ニューデリーの苦い思い出(後編)

(前編はこちら)ニューデリーの苦い思い出(前編) - マルコジみそ
 
僕は、政府観光局があるというジャンパト通りを目指して、地図を頼りに、朝のニューデリーを歩き出した。
 
歩き出してすぐに、1台のリキシャのドライバーが声をかけてきた。
僕は歩くのは苦にならないほうなので、数km離れたジャンパト通りに歩いて行くつもりだった。
「いらない」と言って歩き続けたのだが、このリキシャ、何と30分も延々とついてきてリキシャを勧め続けた。
「へい、リキシャ?トモダーチ!ノー・タカーイ!」
既にコンノートプレイスが近づいたあたりで、ようやくどこかに消えていった。
この、底知れないしつこさは、一体何なのか。
この時点では、比較的理解しやすかったタイ人に比べ、インド人の思考回路は全く得体が知れなかった。
ちなみに、「トモダチ」「ノー・タカイ」は、今後インドで飽きるほど聞くことになる。
 
コンノートプレイスを通り過ぎ、しばらく行くと、「ジャンパト通り」という看板を発見。
おお、ここだここだ、と思って足を踏み入れた瞬間、僕の足は地面に釘付けになった。
あるわあるわ、無数の観光案内所。
そして、その無数の観光案内所から、わらわらと大量のインド人が出てきて、こっちに来い、と言いながら僕のほうに迫ってくるではないか!
僕は言い知れぬ恐怖を感じずにはいられなかった。
ともかく「僕はGovernment Officeに行きたいんだ!」と叫んだ。
すると奴ら、どいつもこいつも、「うちがGovernment Officeだ!」などと言い出すではないか。
ああ、もう、信じられる人間はどこにもいない。
しかも、このインド人達に、「異国の地で困り果てている人間だ、かわいそうだから許してやろう」なんていう気配は微塵もない。
まさに、孤立無援。
 
政府観光局は諦めようと思ったその時、4人の日本人がリキシャでやってきて、近くに降りた。
僕は泣き出さんばかりの表情で、その日本人集団のほうへ駆け寄った。
「本物の政府観光局はどこかわかりますか!」
「お一人ですか。大変ですね。僕らもインド人にはホトホト困ってます。一緒に探しましょう。」
昨夜タクシーに乗り込んでから初めて日本人に会い、本気で涙が出そうなくらいの安心感を感じた。
僕らは落ち着いて、本物の政府観光局を探した。
ニセ政府観光局への勧誘員たちも、5人の集団は強引に引っ張ることはできないようである。
そのうち、誰も勧誘者がいないオフィスを発見した。
入り口に立っている、「やれやれ」という顔をした男に聞いたら、「ここが本物だ」とのこと。
中に入ったら、確かに本物だった。
政府観光局も、この状況には手を焼いているらしい。
 
順番を待ってカウンターに行き、拙い英語で昨夜の一部始終を説明し、タクシードライバーに書かせた領収書を見せた。
しかし返ってきた言葉は、「気の毒だが、この領収書は全く役に立たない。ただの紙切れだ。」
確かに、よく考えてみれば、こんな手書きの領収書など、何の証明にもなるわけがない。
徒労感と、自分のあまりの浅薄さ加減に、脱力感に襲われた。
 
その後は、日本人4人と別れ、宿が多くあるというニューデリー駅へ。
宿を確保した後、半日かけて駅でニューデリー〜アーグラー、アーグラー〜ベナレスへの切符を購入した。
そして、一泊し、早朝にニューデリーを後にした。
そういうわけで、僕はニューデリーに関して、ほとんど観光することなく、トラブルだけで終わってしまったのである。
 
散々インド人にヒドい目に遭わされたことを書いてきたが、その後旅を続けるうちにわかったことは、大抵のインド人はヒドい奴ではない。
あちらから近づいてくるインド人は、ほとんど商売根性丸出しで、騙してでも金を取ろうとしてくる。
しかし、こちらから声をかけたインド人は、大抵親切にいろいろ教えてくれる。
これはつまり、ほとんどのインド人はジェントルマンであるが、多くの人々が騙してでも金を得なければ生活できない状況にある、ということだと思う。
 
思えばこのインド旅行、この後もいろいろハプニングがあったな。
気が向いたら、今後書き足していこう。
 
※2007.6.1 追記
世の中には、このような観光案内所がらみの事件で、本当に行方不明になっている方もいる。
僕がタクシーの中ですごまれた時は「殺されるかもしれない」と本気で思ったし、実際にそのような運命をたどる可能性だって少なからずあったのだと思う。
これからインドを旅行される方は、くれぐれもお気をつけて、間違ってもこのようなトラブルに自分から飛び込むような真似はなさらないよう、切に願う。